工務店の建築コラム

母校で講師をさせて頂きました。

はじめに

生き生き仕事人の講師という大役をご依頼いただき誠にありがとうございます。僭越ながら自分自身を顧みる良い機会、愛する母校の後輩のためになればと思い、お邪魔させて頂きました。今日の話がみなさまの参考になればこの上ない喜びであります。

 

高校時代

高校時代の私は自由を謳歌し、というよりは自由というものをはき違え、多くの友人と楽しむことに夢中でありました。そんな訳で学生の本分である勉強はお粗末なものだったと思います。在学中に1年間休学しオーストラリアに留学、おかげさまで大好きな熊谷高校に4年間在学させて頂き、人生の友も2学年に渡ってたくさん得ることができました。

 

建築という仕事

大学では建築学科を専攻し、高校時代とは異なり勉強に取り組みました。

わたしが最初に受けた建築概論という講義は「砂浜で波打ち際に立ったとき見える水平線までの距離を見当しなさい」という内容でした。各々が感覚で40kmとか60kmとか中には200kmなどの答えがあったと記憶しています。視点の高さが1.6mだとすると、答えはたったの約4.5kmなのですが、教授の「有限の空間を無限に見せる、感じさせることが建築にも可能なのですよ」との決め台詞にすっかり参ってしまい、そのとき初めて心から建築に興味をもった気がします。また同時に「建築で食っていこう」と漠然とでしたが目標を持ったのもこのときだったと思います。

建築学は理系の中では最も文系的な学問です。なぜなら建築に関する問題のほとんどが「こたえはひとつではなく無数にある」からで、住宅の間取りを例に挙げれば、家庭の数だけ無数に最適解があることが分かるでしょ?

また建築学ほど必要な知識が多岐にわたるものもなかなか無いように思います。住宅に必要な知識から医療施設、学校、飲食店や物販店などの商業施設、工場、果ては都市計画など、それぞれの関連法規や使われ方を熟知していないと設計も施工もできないのですから、ここまで学べば十分ということは死ぬまでおこらないわけです。そんな奥が深そうで、膨大な知識とのつながりが必要な建築に魅せられて今でも勉強の日々を楽しく過ごしております。

また、建築の仕事での醍醐味はアウトプットする力を発揮することです。もちろんわずかな知識(インプット)しかなければ大したアウトプットは望めませんが。

学生時代はどれだけ正確にインプットされているかが評価の対象でした。つまりテストでは、どれだけ多くの知識を正確に記憶しているかが問われているわけです。ところが社会に出ると、どれだけ素晴らしいアウトプットができるかが評価の対象になります。設計士ならどれだけ素晴らしいプラン、図面等の提案できるか、現場管理者であれば、どれだけクオリティーの高い建物が短期間で出来上がるかなどです。このアウトプットする力は学校の中はもちろん、むしろ学校の外で得られる経験によって育まれるのだと思います。多くの人との関わりの中で学ぶものかもしれません。自分などは留学した経験や高校での部活動、勉強や仕事とは全く別の活動の経験の積み重ねと共に身についてきたのだと思います。これからたくさんの機会がみなさんの前に現れると思いますが、「オレはいいや」と思わず何事にも積極的に主体的に関わって頂きたいと思います。

 

社会で必要とされる学力のあるひとに

「学力のあるひと」というと多分世間ではテストの成績が良いとか偏差値が高く高学歴のひとを思い浮かべるかと思います。間違いではありませんが、もう一歩踏み込んでみると

「学力のあるひと」とは文字通り「学ぶ力があるひと」のことです。

仮に一流の大学に入学し、もう自分は勉強しなくても十分な知識が備わっていると思ったひとと、大学には行けなかったけれど、まだまだ自分には生きていくために膨大な知識が必要だって思っているひと、どちらのひとが学力のあるひとだと思いますか?

もちろん後者ですね。どんなに知識があってもそこで満足してしまったら学ぶ力はなくなっているわけです。つまり私のように熊谷高校を受験し、合格したことにすっかり満足して知識に対する不足感を失ったひとは学力のないひとなのです。

もうひとつ「学力のあるひと」は素直なひとです。これから多くを学ぶなかで誰かに教わらなければならない事態が何回も訪れるはずです。そんなとき素直に「学びたいのです。先生どうか教えてください」と言えるひとです。40過ぎのいい大人がって思われるかもしれませんが、わたしは、何歳になってもこのセリフが言えるような職業人でありたいと思っています。「学びたいのです。先生どうか教えてください」このマジックワードをこれからの人生でどれだけ多く心から言えるかが、この先の成長の鍵であると思います。

 

目標を持ってはじめる

先ほども触れましたが、大学の講義がきっかけで私は目標をもち、その後、目的を明確にしながら学び、働いてきました。目標があると見える景色が違い、モチベーションも上がり何に対しても積極的になれるのです。もちろん今ここで目標を決めなさいと言っているのではありません。目標を見定めることはなかなか難しいことです。だからこそ常に自分の目標を探し、それが何なのか強く意識し続けるしか方法はありません。強く意識し続けるとアンテナが自然と広がり、色々なものが引っかかるようになって、いつか必ず見つけることができるはずです。目標を持ってはじめることは自分が成長していくための大きなエンジンとなります。

 

かけがえのない高校での日々を大切にしてください。

2016年7月29日岡部工務店
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